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ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

小泉八雲という日本名で知られる作家、ラフカディオ・ハーンは、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』のモデルとしても知られています。

ハーンは、英語で原作を書いた「耳なし芳一」「雪女」に代表される再話小説の名作を残すなど、日本固有の文化や日本の良さを世界に広めた人物として知られています。また、ハーンの日本での生活を見れば、第五高等学校東京帝国大で教鞭をとるなど、エリートのような立場や生活にも見えます。
ところが、ハーンの人生は幼い時から逆境の連続であり、誰もまだ通ったことのない道を切り開く“開拓者”の道でもありました。

幼い時に両親が離婚したハーンは、実の親に育てられることなく、父方の大叔母に引き取られて育ちます。しかし、富豪であった大叔母の事業が破産し、経済的に困窮。10代の時に大叔母を離れ、単身、移民船に乗ってアメリカに渡り、ホームレスの生活を送っていた時期もありました。また、16歳の時には、遊具が顔に当たり、左目を失明しています。そのコンプレックスは生涯、ハーンの人生に影を落とし、日本にいる時に撮影された写真の中のハーンは、すべてが横を向いているか、俯(うつむ)いているかのどちらかです。

そうした境遇を経ながらも、アメリカで赤貧の生活を送る中、印刷所のオーナーに気に入られたハーンは、新聞記者という立場を掴みとり、ジャーナリストとしての才能を開花させていきます。しかしながら、黒人系の女性との結婚に踏み切り、当時の州法への違反とみなされ、会社を解雇されるという経験も経ています。

形式や社会通念よりも、自身の夢やあこがれを追い求めるハーンは、39才の時、西洋とは違う異質の文化を持った『極東・日本』への移住を決断します。

『ばけばけ』にもあるように、島根県の松江中学校で英語教師をしていた、いわゆる「松江時代」の印象が強いハーンですが、それは松江がハーンにとって日本で最初に暮らした場所だからでもあります。
そして、その松江で妻となる小泉セツと出会い、国際結婚したので、1年3ヵ月の滞在期間であったにもかかわらず、「ハーン=松江」というイメージが形成されています。

その後、松江中学校から、熊本の第五高等学校(=五高)に赴任先が変わったことは、英語教師としては出世と言えるものでした。ハーンは熊本に約3年間滞在することになりますが、給料が高く、しかも松江よりも都会で近代化が進んだ熊本での生活は、体調を崩しがちだった松江時代とは違い、健康が回復していきます。夫婦の第1子が誕生したのも、熊本でした。
その反対に、当時の熊本は欧米を模倣したような建物も多く、ハーンは、アイデンティティを失い続ける日本や日本人に対し、危機感を募らせます。

「生活面での余裕」と「日本への危機感」、そうした相反する外面と内面の状況が、ハーンの創作意欲を促したとも言えるでしょう。実際、ハーンは熊本時代に、のちに彼の代表作となる作品を残したり、熊本を離れた後も、熊本をモチーフにした作品をいくつも残しています。

例えば、来日後の第1作目となる「知られざる日本の面影」は松江時代を書いたものですが、熊本で執筆しています。また、熊本を舞台とした作品では、五高の裏手にある小峰墓地で巡らせた思いを綴った「石仏」や、五高生との交流や授業のやり取りを描いた「九州の学生とともに」など、多くの作品が熊本を舞台としています。
そのように、作家としてのハーンを知る上で、熊本は欠かすことのできない地だと言えるでしょう。

『ばけばけと熊本』。熊本におけるハーンのゆかりの地を訪ね、ドラマだけでは描くことができないハーンの姿をひも解いていくのも、実に興味深い探索になることは間違いありません。

(ラフカディオ・ハーンの言葉)
「生活様式の素朴さと生活の誠実さは、古くから熊本の美徳だったと聞いている。もしそうであるなら、日本の偉大な将来は、生活の中で単純、善良、素朴なものを愛し、不必要な贅沢と浪費を憎む、あの九州スピリットとか熊本スピリットといったものを、これからも大切に守っていけるかどうかにかかっている」
 (第五高等学校で行ったハーンの講演「極東の将来」より)

<関連する場所>
第五高等学校記念館・ハーンレリーフ
小泉八雲熊本旧居
小峯墓地の石仏

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